旧佐々虎呉服店は、秋田県横手市増田町の重要伝統的建造物群保存地区にあります。佐々虎(ささとら)という名は5代前の創業者佐々木虎吉にちなんだもので、佐々木家は増田のまちの方々から「ささとらさん」と呼ばれています。

江戸時代末期から明治、大正、昭和初期まで、地域の物流と商業の拠点として栄えた増田町の中七日町通りには、いまも当時の屋敷が数十軒、文字通り軒を連ねています。屋敷と屋敷の間の距離はわずか数十センチ。人が一人やっと通れるくらいの幅しかありません。それぞれの家の敷地は表通りから裏通りまで細長い短冊形で、表から順に、店、住まい、内蔵、そして裏庭に外蔵、と縦に一列に配置されているのが一般的です。

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旧佐々虎呉服店全体像

下の空撮写真では、左側の道路から右に見ていくと、(1)赤い屋根の家とその後ろの敷地、(2)白漆喰の土蔵を先頭にした屋敷、(3)店跡が今は空き地(前庭)になっている屋敷、(4)大きな屋根の店と前庭がある屋敷、(5)赤い屋根、黒い屋根、緑の屋根の建物が縦に並ぶ屋敷、と5軒の屋敷(跡)が写っています。旧佐々虎呉服店は(2)と(3)です。

もともとは(2)は塩屋さん、(3)は佐々虎呉服店の前身の古手屋(古着屋)さんだったそうですが、明治のなかばに2代目の佐々木虎吉が(2)を購入し、二軒を渡り廊下でつないだそうです。二つの屋敷の間には堰(せき;用水路)が流れていたのですが、二軒をつないだことで、中庭を流れる小川に形を変えました。わたしたちきょうだいはみな、この小川のせせらぎを耳にして育ちました。

そうそう、初代も二代目も虎吉。当時は親の名前を継ぐことがよくあったそうです。

旧佐々虎呉服店全景空撮
旧佐々虎呉服店全景

店・店蔵

写真手前中央、黒い塀のむこうの今は空き地になっているところに、佐々虎呉服店の店舗がありました。その左手の白漆喰の建物は「店蔵(みせぐら)」です。初売りや大売り出しのときには店だけでなく店蔵も開けて商売したそうです。店と店蔵の前に通してかける水引暖簾が残っているのですが、幅が10メートル近くあります。佐々虎呉服店は、戦時中に店をたたみました。

主屋

店の後ろには家人や雇用人が暮らした「主屋(おもや)」があります。店舗跡の後ろが南棟、店蔵の後ろが北棟。
先日工務店の大工さんから聞いた話では、大工さんのお客さんの90歳代のおばあちゃんが若いころ佐々虎で働いていたそうで、その頃は総勢27名がこの屋敷にいたのだそうです。家族親族で10名以上はいたでしょうから、住み込みで働かれていた方々も同じくらいいたのでしょうか。南棟は敗戦後すぐに建て直しているため、呉服店をやっていた頃の間取りは残念ながらもうわかりません。先日亡くなった父が子供の頃は、曹祖父母の部屋は内蔵の中にあり、父は店蔵の二階で勉強したそうですので、主屋だけでなく蔵の中にもさまざまな居室があったものと思います。

内蔵

北棟の主屋の後ろには家財道具などをしまっておく「内蔵(うちぐら)」があります。店蔵も内蔵も土蔵ですが、鞘(さや)と呼ばれる屋根付きの木造覆いでおおわれているため、店蔵正面の白漆喰以外は外からは見えません。内蔵にはさまざまな家財道具を入れていたようです。

外蔵

写真の中央奥、主屋南棟の後ろの漆喰がかなり剥がれ落ちてしまった蔵が外蔵(とぐら)です。材木や雪囲いの資材などを入れてあった資材蔵です。昭和の後期、われわれきょうだいが学生だった頃まではその左(北)にもう一つ別の外蔵があり、味噌を仕込んで寝かせていました。さらに時代を遡ると、資材蔵と味噌蔵の他にも用途別に複数の外蔵があったらしいのですが、現存しているのは資材蔵一棟のみです。

増田の商家の構造

豪雪地帯である増田では、蔵を鞘ですっぽり覆って雪害から守るとともに、主屋と隣接する蔵(の鞘)の屋根・外壁・廊下を相互に結んで一つの大きな複合建築とし、冬でも戸外に出ることなく建物間を行き来できるようにしていました。店蔵も内蔵も土蔵ですが、鞘(さや)と呼ばれる屋根付きの木造覆いでおおわれているため、店蔵正面の白漆喰以外は外からは見えません。
伝統的建造物群保存地区に指定されている増田中七日町通りはかつて地域の物流・商業の拠点でしたので、表から順に店、住まい、内蔵を縦長に一体に繋いだこのような複合建築がいまも何十軒と残っています。各家の敷地は細長い短冊のような形で、表通りから建物に入ると南側に吹抜けの土間の「通り」がまっすぐ裏口まで延び、店、住まい、内蔵の横を土足のまま通り抜けて庭に出ると、大抵の場合その先には独立した蔵「外蔵(とぐら)」があり、外蔵の横を抜けると裏門がある。それがこの地域の商家の多くに共通した家の作りでした。

写真の右側には大きな屋根が縦に三つ並んだ複合建築がありますが、こちらは隣家の旧佐藤與五兵衛家(現在は「まちの駅福蔵」)さん

気づかれたでしょうか?
佐々虎では、店、主屋、(内蔵)、外蔵という一連の並びが二本あります。(南の内蔵はなかったのか早くに壊してしまったのか、分かっているのは北側の一つだけですが。)
実は北側と南側はもともと別々の家だったのを、南側に店を構えていた佐々木虎吉があるとき北側を買い取ったのだそうです。その後主屋二棟をつないで明治大正昭和と改築を重ねたのが、今の佐々虎の建物です。

そうして佐々虎の家は、上述の増田の商家の基本構造を大筋では維持しながらも他家には無い独自のバリエーションを持つちょっと変わった家になりました。北棟の土間の通りは広い吹抜けの廊下に変わり、南北の主屋は渡り廊下で結ばれ、二軒の間の堰(水路)は中庭を流れる小川になりました。そんな家の内部の話はまた別の機会にあらためて。

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